Śisei

arauchi yu

Śisei

『Śisei』の音楽は、管弦楽器、ヴォーカル、ドラム、それにエレクトロニクス/サンプリングを主として成り立っている。荒内佑が作った初のソロ・アルバムに、「ceroの」という形容は当然のように付くのだろうが、ceroとはだいぶ離れたところにある音楽に聞こえることだろう。そもそも、アコースティック楽器のみによる室内楽のアルバムを作ろうとしていたというのだから、制作の発端からして異なるところに立っていた。しかしながら、『Śisei』に表現されたのは、荒内佑という音楽家が自身のルーツに真摯に向き合った音楽であり、長年暖めてきた音楽である。そして、ceroにおいて彼がこれまで作ってきた音楽はもちろんのこと、驚くほど多くの音楽の記憶が刻まれたアルバムである。

 アルバムのラフ・ミックスを初めて聴かせてもらった時に、ラージ・アンサンブルやポスト・クラシカルと呼ばれる音楽と近いサウンドであることをまず感じたのだが、それだけでは収まらない音楽に聞こえた。ディテイルが、いろいろな音楽のことを想起させたからだ。その後、ミックスダウンを終えた完成版を聴き、本人に詳しい話も訊いて(インタビューとして後日公開予定だ)、『Śisei』というアルバムが織り成している世界が見えてきた。それは、複雑で精緻で洗練されている音楽であり、単純さや粗さが残ることを尊重する音楽でもある。美しい諧調の下には、非楽音や表には顕れない音も鳴っている。それらがレイヤーとなって、一つの音楽を構成していくのだが、そのインスピレーションの源にあったのは、Śisei=刺青である。

 ナイジェリア出身で、十代でアメリカに移住し、現在はロサンゼルスで活動するビジュアル・アーティストのジデカ・アクーニーリ・クロスビー(Njideka Akunyili Crosby)は、家庭生活の断片を描いた絵画の中に、様々な写真の転写や雑誌の切り抜きのコラージュを加え、アクリル絵具や木炭、色鉛筆などで幾重にもイメージを重ねていく。彼女が描く褐色の肌の女性の腕にも、転写やコラージュが重ねられている。それは、まるで刺青のように見える。『Śisei』は、そのイメージから導かれた音楽である。ナイジェリアの記憶とアメリカ社会の現実とが複雑に交錯して描き出される彼女の絵画の手法そのものが、『Śisei』の音楽の成り立ちにも影響を及ぼしている。

 アコースティック楽器とエレクトロニクス、室内楽とビートといった、よくある対比は、『Śisei』には存在しない。もちろんリードを取る楽器はあるのだが、すべての楽器が、ヴォーカルも含めて、主従の関係ではなく、空間の拡がりの中で鳴っている。だから、ドラムとベースが作るグルーヴの上に上モノとしてストリングスが乗るようなことはない。低域を強調することによってダイナミズムを表現することもない。サンプリングは、ただの効果音として使われるのではなく、楽器演奏のトリガーとなって、演奏そのものに積極的に関与することもある。それゆえ、『Śisei』の音楽は、鮮やかで深いグラデーションを描き出している。

 数年に渡って曲作りを続けてきた荒内佑が、アルバムの制作に取りかかる段になって、パートナーとして選んだのは、ベーシスト/作曲家の千葉広樹だった。ジャズはもちろんのこと、クラシック、現代音楽からヒップホップやエレクトロニック・ミュージックにも精通している彼の参加によって、ヴォーカリストのジュリア・ショートリードやドラマーの渡健人(av4ln)が選ばれた。さらに、ceroで共演しているトロンボーン奏者のコーリー・キングもヴォーカリストとして招かれ、管弦楽器もceroのサポート・ミュージシャンを中心に選ばれた。こうして、限られた楽器とミュージシャンによって演奏された『Śisei』の音楽は、音数が決して多いわけではないのだが、豊かな響きを獲得している。その響きは、スコアによるコミュニケーションと録音に、適切かつ創造的に取り組める環境が成立していたことも感じさせる。

 アルバムには全10曲が収められているが、何れもが興味深いプロセスを経て制作されている。詳細についてはインタビューに譲るが、『Śisei』を聴くことは、音楽史を振り返り、様々な音楽を再発見する愉しみにも導く。その音楽の旅は、録音された音声をメロディーの素材として使用した『Different Trains』のスティーヴ・ライヒから始まって、同じくアメリカのフィリップ・グラスやテリー・ライリー、イギリスのギャヴィン・ブライアーズやマイケル・ナイマンらのミニマル・ミュージックを振り返る。そして、ミニマル・ミュージックからディスコとポストパンクに波及したニューヨークのダウンタウン・シーン、特にアーサー・ラッセルの音楽に繋がっていく。一方では、クロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェルといった19世紀末から20世紀初頭のフランスの印象主義音楽もある。そこから、オリヴィエ・メシアンの現代音楽にも至る。また、渡邊琢磨によるコンボピアノや水谷浩章によるフォノライトといった2000年代の日本の音楽も浮き彫りとなっていく。現代ジャズやアフロ・ブラジル音楽はもちろんのこと、サンプリング・アーティストとしてのJ・ディラや、現代音楽への新たな扉を開いた90年代のエレクトロニカの再発見にも及ぶ。

 クロスビーの絵画がそうであるように、『Śisei』の音楽は、異なるコンテクストを横断し、分類できない何かを積極的な表現へと変転させていく。誰もがアイデンティティを求めているが、それは一つに収斂されるものではなく、分散し、拡散することを怖れず、美しい表現に向かうべきだと、『Śisei』の音楽は静かに主張している。最後になったが、『Śisei』には、ピアニストとしての荒内佑を聴く愉しみもあると付け加えたい。そういうと本人は謙遜するだろうが、このアンサンブルにおいて、その響きには惹き付けられる特別なものがある。

原 雅明

Release Info

Śisei

arauchi yu / Śisei

2021.8.25 Release
通常盤[CD] 2,500円(税別) DDCK-1072
Label: KAKUBARHYTHM

  • 01. Two Shadows
  • 02. Arashi no mae ni tori wa
  • 03. Petrichor
  • 04. Whirlpool
  • 05. Lovers
  • 06. Clouds
  • 07. Understory
  • 08. Protector
  • 09. Śisei (of Taipei 1986)
  • 10. Summerwind and Smoke

Credit

Producer, Arranger: Yu Arauchi, Hiroki Chiba
Strings Arrangement: Yu Arauchi(M1,M2,M4,M5,M8,M9) , Hiroki Chiba(M3,M4)
Horn Arrangement:Yu Arauchi(M1,M3,M6,M7,M8,M9), Hiroki Chiba(M6)

Vocals: Corey King, Julia Shortreed
Drums: Kent Watari
Bass: Hiroki Chiba
Piano, Electronics: Yu Arauchi
Flute, Clarinet, Bass Clarinet: Shuntaro Oishi
Violin: Kano Tajima, Anzu Suhara
Viola: Yuri Matsumoto
Cello: Masabumi Sekiguchi
Vibraphone: Manami Kakudo

Mix: Taiji Okuda(Studio MSR)
Mastering: Kentaro Kimura(KIMKEN STUDIO)

Illustration: Tomoyuki Yanagi
Design: Kei Sakawaki

Music Video

Coming Soon

Interview

by
原 雅明

前編

—最初にソロを作ろうとしたときに、頭の中で描いていたものはあったのですか?

最初はぼんやりと管弦を使った室内楽だったんですけど、その構想自体は20代半ばくらいからずっとあって、ソロをやろうということになって、暖めていたことをやろうと。

—なぜ室内楽だったのでしょうか?

元々、同居していた祖母が音楽の教師をしてて、実家にはクラシックのレコードやCD、譜面などが沢山ありました。ピアノは兄が習っていて、僕は同じものを習うのが嫌だったので、代わりに絵を習っていたのですが、やはり子供の頃は音楽といえばクラシックだと思っていました。なので、19、20歳くらいの時によく聴いていた(スティーヴ・)ライヒ、(フィリップ・)グラスとか、(ギャヴィン・)ブライヤーズ、(マイケル・)ナイマンとか、ここら辺の作曲家にはとても親しみがあります。同じ時期に(クロード・)ドビュッシー、(モーリス・)ラヴェルとか印象派も聞き直すようになりました。そういった音楽が自分の中で基盤となるものでもあって。だから、自分でやるならそこかな、とずっと思っていたんです。

—それはceroを始める前から?

同時くらいですかね。

—ceroの音楽をやりつつも、自分のルーツは別にあるという感じだったのですか?

シンプルに言えばそういうことだと思います。あとは、コンボピアノの『AGATHA』というアルバムが自分の中でとても大きくて、そういう19、20歳くらいの時に聴いたものの影響が大きいですね。

—最初から室内楽を想定して作曲をするということは、楽理的なことも学んだのですね。

はい、めちゃくちゃしました(笑)。未だに穴だらけですが……。

—自分でやれるところまでやろうと?

そうです。やれるところまでやりつつも、曲数はかなり作ったのですが、どうしても習作の域を出なくて、自分の中でOKな曲ができずに悩んでいました。そこで、室内楽といえども、自分のキャリアを振り返ってみると、やっぱりエレクトロニクスを使った音楽とか凄く好きですし、そこら辺をないことにするのも違うなと思って、ある日、サンプリングを嫌々入れてみたら(笑)、納得できるものになって行きました。なので、楽理云々というより、自分の作風を見つけるのが大変でした。

—最初はエレクトロニクスは入れずにアコースティックのみでやろうと?

100%アコースティックのみでやろうと思ってましたね。

—習作というのは、自分だけで、他のプレイヤーは入れずに作ったのですか?

完全にデモで、自分だけです。

—ピアノで、ですか?

ピアノだけのものもあるし、スコアのメモだけのものもあるし、デモまで行ってある程度完成しているものもありました。

—それらは誰かに聴かせました?

いや、自分だけですね。ひたすら作って没にして、という。

—完成した『Śisei』には、千葉広樹さんが共同のプロデューサー、アレンジャーとしてクレジットされてますね。

最初は3曲自分で作って、千葉さんに電話して、一緒にやってほしいとお願いしました。

—自分だけでは曲作りが難しかったからですか?

難しく感じてもいたのですが、どちらかというと彼がやっていたKineticとかのプロジェクトもあったり、とにかく好きなミュージシャンなので、ベーシストとして参加してもらう以前に、千葉さんには制作から関わってほしかったんです。もちろん、楽理的にスコアを見てもらったりとか、そういうところでブラッシュアップをお願いしたいという側面もありました。千葉さんは子供の頃からヴァイオリンをやっていたり、クラシックや現代音楽マニアでもある一方で、元々DJプレミアが好きで、高校の頃からトラックも作っていたそうです。横断的なリスナーは多くいますが、彼のようにクラシックにもヒップホップにも当然ジャズにも、ミュージシャンとして各ジャンルに深く根ざして活動している人は世界的に見ても本当に少ないと思うのですが、身近にいたんで(笑)。いま自分が作ろうとしているものをトータルに上に持っていってくれる人は千葉さんかなと思って頼みました。

—アルバムに向けて、具体的に作り始めたのはいつですか?

2018年の後半ですね。ceroで前のアルバムを出した後です。本当は2019年にみんなソロを出す予定だったんですけどね。そのために2019年は活動もペース落としたんですが、誰も出せなかった(笑)。みんな凝り性だし、じゃあ、2020年に出さなきゃとなったんだけど、コロナで、自然に〆切が延びた年になったと。

—これなら自分が納得できるという曲がいくつかできてきたと?

そうですね。サンプリングを入れてから、いい感じになりました。

—サンプリングを入れるまでは、自分のものではないという感じだったのでしょうか?

はい。コンポーザーとしてアルバムを作っていたので、演奏をしてもらったり、歌ってもらう前段階で、これは自分の作品です、と言えるサウンドでなければいけないと思っていました。例えばシンガーのアルバムだったら、声というのはその人特有のものですから、人の曲を歌っても、それが音楽のアイデンティティになりますよね。だけど、自分はプレイヤーではないし、ましてやシンガーでもないので、誰々風の曲を作っても、ソロを出す意味がないと思っていました。なので、室内楽とサンプリング、要は僕の音楽遍歴を圧縮したようなサウンドになってから(笑)、自分のものになったと感じました。もちろん、そういったコンポーズの前提はありつつも、皆さん本当に素晴らしい演奏と歌唱をしてくれました。

—楽器音とサンプリングの音のバランスが絶妙に感じました。

そのバランスは特に気を付けました。一口にサンプリングと言っても念頭にあったのは、80年代のライヒ作品、『Different Trains』(1988年)、これはテープループですけど、90年代だったら『City Life』(1994年)などです。その辺の作品は、機械とアコースティックの境界が明確なサウンドになっていますよね。昨今のポストクラシカルと呼ばれるもののほとんどは、エレクトロニクスとアコースティックの境目なく混じり合っていますが、自分は両者が自立したテクスチャーが新鮮に感じられます。なので、ライヒからはミニマルの語法というより、楽器の鳴らし方、テクスチャーの作り方の影響が強いと思います。

—いまはデジタルで幾らでも綺麗にスムーズに混ぜられますが、そうではなく、滑らかに混じってないことに惹かれました。

ああ、良かった(笑)。それは本当に気を付けて、サンプリングも敢えて雑に切って、イコライジングも周囲の楽器の音が残るように雑にやっています。エンジニアの奥田(泰次)さんにも、「敢えて雑にやっているので馴染ませないでください」とお願いしました。

—エレクトロニクスもアコースティックなサウンドの中に綺麗に入っている音楽が当たり前になっていますが、滑らか過ぎて残るものがないこともあります。

それが悪いとは全く思わないですし、好きな作品もいくつかあります。ただ、音楽に限らず電子技術全般は進歩史観になりがちというか、前時代のサンプリング技術や技法が顧みられることがあっても良いと思っています。
もちろん懐古趣味とかリヴァイヴァルではなく、それらを再検討して、どう新しく使うか、という意味です。

—では、『Śisei』に収められた各曲のことを順番にお伺いします。まずは、“Two Shadows”について。

これが最初にできた曲ですね。

—ヴォーカルが、ジュリア・ショートリードさんですね。

元々、英詞のイメージで、女性のアルトが良く、連絡が取りやすい人が良いと思っていました。そうしたら千葉さんがジュリアさんと一緒にやっていることを知りまして、歌声が素晴らしいですし、彼女もトラックを作るので楽器類と歌のバランスも自然に取ってくれそうだとも感じ、お願いしました。

—アルトの声が良いというのは?

自分の趣味ですけど、子供の頃に遡れば、カレン・カーペンターとか、制作の時にはマリア・ベターニアをよく聴いてたし、現代音楽ではジョアン・ラ・バーバラも好きですし、彼女たち、みんなアルトなんですね。歌に限らず、自分のアレンジは全体がアルトに寄ってしまう傾向にあるんですが。なので、ジュリアさんは高音も美しいけれど、やはりキーは低めに設定しました。かなり低いメロディでも、音楽的に成り立せられる声をしているので、自分の曲にもマッチしたと思います。

—英詞に拘ったのは?

ceroだと細かい符割りのメロディが多いのですが、実は自分から自然に出てくるメロディは幅が広いものが多くて、それに日本語を乗っけると、いなたくなるというか、日本語が最初からフィットしたことがあまりありませんでした。ceroでも良いメロディが書けたなと思っても、いざ日本語を乗せる段になると嵌まらなくて、没にしているのもあったんですね。ceroは日本語ネイティヴですし、(ceroのボーカリストである)高城くんは歌詞が素晴らしいから、歌詞に合わせてまとめたりとかよくあるんですけど、僕個人に関しては、日本語で絶対やりたいということはなく、そこで足踏みするよりかは、音の方で試行錯誤したいので、英語の方がやりやすかったんです。できたら韓国語の曲も入れたかったんですが、言葉が分からないので歌詞についての意見が言えないと思い、今回は見送りました。

—2曲目は、短い“Arashi no mae ni tori wa”です。

次の曲のためのインタールードですね。嵐の前に突然、鳥が飛び立つ光景を、80年代のCG技術で線描したような、そんなイメージです。ジュリアさんに「Suddenly, birds」と喋ってもらいましたが、カーペンターズ“Close to you”の歌し出し「Why do birds suddenly appear」に由来しています。あちらは鳥が舞い降りる描写ですが。

—間髪入れずに“Petrichor”になりますが、この曲はバス・クラリネットの響きが印象的です。

元々、大きなミニマルなフレーズがあったのですが、あまり面白くなかったので、そのフレーズを分解して、ウッドベースとバスクラ、フルートに分割しました。バスクラはベースよりもアグレッシヴな動きをしやすいですし、下支えの役割も担えるので特に好きな管楽器です。

—バスクラは大石俊太郎さんですね。

管楽器は全て大石くんの多重録音です。ceroをたまにサポートしてくれるメンバーで、一緒に管楽器で入ってくれる小西遼くんの紹介で知り合いました。彼がバンドキャンプに上げている音源も素晴らしいですし、清水靖晃フリークらしいです(笑)。アレンジの相談をしている時に色々音源を教えてもらったんですが、自分と指向性が近い気がしています。

—弦楽器は?

ヴァイオリンの田島華乃さん、チェロの関口(将史)くんというのは、20歳くらいからの昔馴染みで、唯一ceroのアルバムに全部参加している人達ですね。とても付き合いが古いです。もう一人のヴァイオリン、須原杏さんはceroでも弾いてもらったことがあり、ヴィオラの松本有理さんは関口くんの紹介で初めてご一緒しました。

—ドラムの渡健人(av4ln)さんは?

ドラマーがなかなか決まらなくて、千葉さんにずっと相談していたんですけど、千葉さんから「最近、いいドラマーと知り合ったんだけど」って教えてもらったんです。その前に僕は渡くんと知らずに、東京塩麹というバンドのライヴ映像で、ドラムに凄い人がいるなと思ってて、まあ、それが渡くんだったんですけど、千葉さんが「東京塩麹のドラマーでもあるよ」と言ったんで、あ、あのヤバい人だと(笑)。「ぜひお願いします」となったんです。

—ドラマーが決まらなかったのはなぜですか?

まず、ドラムが要るかという問題があって。ドラムが入ると、凄く型がある楽器だから、例えば面白い弦を書いたとしても、それにバックビートが入ると途端に普通になる。このアルバムではバンド的なグルーヴ感は要らなくて、それよりも音符を嵌めていく、コラージュ的な気持ち良さが重要だと思っていたので、彼ならそういうことも理解してくれそうな予感がありました。今回、フレーズはかなり指定して叩いてもらったんですが、渡くんは譜面が読めて、書いたものを叩いてくれるし、さらにそれを発展させてくれるので、珍しいタイプなんですよ。

—一般的なドラマーとは違うのですか?

まず“Two Shadows”の譜面を見てパッと叩ける人は少ないと思いますし、勘所を掴むのも早かいし、更にそこにポリリズムの要素をさり気なく加えていくっていうのは珍しいと思います。それに彼も彼でトラックを作るせいなのか、アンサンブル全体への視点も併せ持っていると思いました。

—確かに、『Śisei』は極端に言うとドラムがなくても成り立つ音楽と言えなくもないですね。

要するに、ドラム、ベースとボトムがあって、その上に管弦を乗せるんじゃなくて、関係は横にして、並列でできるようにする。それは凄く意識しましたね。とかく、最近のジャズのラージ・アンサンブルとか、弦がよく書けているのに、ドラムとベースだけお任せで、普通になってしまっていたりして、勿体ないなと思うこともあって、ドラムとベースもアンサンブルのパーツとして、ちゃんと機能したらいいのにと不満に思うこともあります。

—ビート・ミュージックならビートと上モノという区別がありますが、それを避けるようなことですね。

そうそう。

—『Śisei』でやってることはラージ・アンサンブル的ですよね。ただ、中心がないというか、いろいろな所に中心があるというか。音響的には立体的に音が配置されて、でも演奏はミニマルに聞こえます。

“Petrichor”や、次の“Whirlpool”のチェロ、“Clouds”のピアノがそうなんですが、元々一つのミニマルフレーズだったものを分解して、いくつかの楽器に割り振っているので、各パートが均等に聞こえないとフレーズ的に成り立たない場所がいくつかあります。中心のなさはそこに由来しているかも知れません。

—4曲目の“Whirlpool”もそうですが、使っている楽器の数は少ないですよね。音数は少ないはずなのに、いろいろ鳴っているように聞こえます。

それは、もうスコアやDAWで全体を見ながら密度を調整していきました。“Whirlpool”だったら楽器数は少ないですがピアノとチェロを細かく動かして密度感を入れていく、といった感じです。

—譜面で書く時には、ある程度、でき上がったものを想像できるのですか?

いやいや、そんなことはないです。基本はDAWで、最終的にスコアで、という感じですね。

—楽器を演奏する人とは基本的に譜面でコミュニケーションを取ったわけですよね。それは大変でしたか?

録音の時点ではそれほど大変ではなかったですけど、録音するまでのスコア制作で、そもそもこのフレーズがリアライズできるのかと、千葉さんはもちろんのこと、関口くんや大石くんに譜面とデモを送りつけて、「これは演奏可能ですか?」「こういうニュアンスは出せそうですか?」とか、質問攻めにしてました。ceroのリハの合間に小田(朋美)さんとか、実は弦を書くのが上手い古川麦くんにも、スコア見てもらったりしてました。

—「できません」と言われたことは?

“Petrichor”のベースですね(笑)。難しいというより、ウッドベースで弾ける現実的なフレーズではなかったので2、3回書き直した上に、最後は千葉さんの家まで行って調整しました。本当にトライアンドエラーで、書き直しはよくしていましたね。幸運にも楽理に詳しい友達がいっぱいいたので。

—楽理を知っていたからこそ、このアルバムもできたと思いますが、楽理についてはもっと極めていきたいと思っていますか?

たまに勘違いされるんですけど、僕は権威的なアカデミズムというのは嫌いですし、憧れとかもありません。美しく音楽を書くためだったり、知的な欲求を満たすために、勉強をするのはよく分かるのですが、アカデミックに振る舞いたい訳では全くないです。そういった前提の上で、自分は子供の頃から独習しているのですが、最近は限界を感じてきました(笑)。これからどうしようと、悩みますね。

—“Whirlpool”はどのような制作プロセスだったのか、教えてください。

これは、オープニングで各パートが1つのフレーズを模倣しなが進行していきます。フレーズ元はサンプリングした声ネタですが、チェロ、サンプリングキーボード、サンプルの順番で進んでいき、最終的にはヴォーカルがそのメロディをなぞって始まるという風にしました。それこそ、ライヒが、『Different Trains』以降ずっとやっているような、スポークンワーズを楽器でなぞることから派生していて、基本的にこの“Whirlpool”に限らず、サンプルが鳴るとき、譜面的には何かしらの繋がりがあるようになっていて、サンプルと楽器がユニゾンするなり、ハモりが付いたり、カウンターとして機能するようになっています。そういう意味で、ライヒをトラックメイカーとして捉えているというか、要は、『Different Trains』以降はもはやミニマルではないと言われているんですけど、そこで大体話は終わっていて、じゃあ何なんだと。そこに対する、自分の考えも示しているんです。

—ライヒへの返答ですね。

いえいえ、それほどでは(笑)。

—サンプリングは、楽器演奏のトリガーにもなっているわけですね。

そうです。だから、単に効果音として、サンプルを乗せているわけではなくて、アンサンブルの一つとして、質感は分離しているけど、ハーモニー的にはちゃんとくっついている。そこが結構大事なところです。

—ハーモニーの整合性やリズムのシンプルさは、聴きやすさをもたらします。一方で質感の分離は違和感というか、ラディカルな印象も与えますね。

この曲をミニマルの系譜で捉えると相当シンプルなリズムになっています。複雑性に重きはなくて、それよりもこの曲は、例えばドラムだったら頭拍にバスドラムが来ない、アクセントが2、4拍に来ない、ハイハットを入れない、という風にリズムトラックがバックビートから外れた役割を担っていて、そういった簡潔なラディカルさを重視しています。というのも、リズムも和声も微分的に追求すればするほど袋小路にハマっていくんです。そうではなく、当たり前とされている大きな前提を少しズラすことに新鮮さを感じます。ところで、この曲だけ角銅(真実)さんにヴィブラフォンを叩いてもらったのですが、角ちゃんこそ音楽を作ること、楽器を鳴らすことに根本から向き合っているように思えます。参加してもらえて嬉しかったです。

—5曲目の“Lovers”は、弦楽四重奏とサンプリングですね。

アルバムを作るにあたって、喫茶店で曲想をメモしてたんですけど、こういう編成でこういう感じみたいな。弦楽四重奏プラス、サンプリングみたいなことを、読み返すと何回も書いていて、相当作りたいっぽい(笑)。ただ、自分には弦楽四重奏は作れないだろう、もうちょっと勉強してからだろうと思っていたんですけど、パソコンの中でサンプル素材を漁っていたら、この素材を使って、尚かつ、これ凄いゆったりしたポリリズムになっているんですけど、そのアイディアと素材を使えば、案外行けそうだなって、そこから始まった曲です。

—サンプリングを使うとき、特に留意していたことは?

やっぱり切り方ですね。雑に切るという(笑)。あとはレコードの内周から録るとか、わざと汚い音で録るとか。そうしないと、どこからサンプリングで、どこからアコースティックの演奏か分からなくなるので。さっきも言ったように、アコースティックとエレクトロニクスが分離した質感になるように気をつけています。この曲は5拍子と2拍子のゆるいポリリズムで、たまに7拍子になるのですが、和音の周期的に3拍子にも聞こえると思います。そのリズム構造が、どこか古橋悌二さんの『LOVERS』というインスタレーションを思い起こさせたんですね。あれは、暗い室内の壁にいくつものビデオが投影されて、半透明の裸の男女がスローモーションで歩いたり走ったりして、たまに抱き合うように見えるという仕組みで、それと構造が似ているなと思って“Lovers”というタイトルを付けました。サンプルの声も変調したら性別が曖昧なものに聞こえ、あのインスタレーションの雰囲気と近いと思いました。

—他の曲でも、そのようなインスピレーション元はあったのですか?

結構ありますよ。ナイジェリア出身でいまはLAにいるジデカ・アクーニーリ・クロスビーという画家がいるのですが、彼女の作品を見ているうちに、今回サンプリングを入れようと思いました。というのも、絵の中に、ナイジェリアの写真や雑誌の切り抜きが無数にコラージュされていて、音楽のサンプリングの手法にとても近いと思いました。コラージュでありがちな、無関係なイメージを切り貼りしたものではなく、彼女の場合は一枚の絵画として成り立っているし、絵の具では作れない質感が入っています。しかも、単にコラージュで埋まっているのではなく、ほとんど描き込まれていないベタ塗りの部分も多くあって、そういういった対比や余白の使い方も刺激になりました。ちなみに、彼女のコラージュがタトゥーに見えるんです。 Śiseiというタイトルは刺青のことで、要はサンプリングのことをŚiseiと呼んでいるんです。ただ、刺青は模様だけ取ったら刺青とは呼ばないですし、肌に彫られて初めて刺青と呼びますよね。そういう意味で、アンサンブルに入ったサンプリング=Śiseiという意図があります。元々、彼女の絵をジャケにしたかったんですけど、ナイジェリアの文化を背負っていますし、日本人の自分がその絵を使う理由があまり感じられなくなり、諦めました。

—今回のジャケの制作経緯も教えてください。

ジャケを描いているのは柳智之といって、元々ceroのドラマーで僕の高校の同級生でもあるんですが、現在はイラストレーターとして超売れっ子です。彼のアトリエに行って、いろいろ相談してて、その時点でクロスビーの絵も見せて、音源も聴いてもらったんです。で、僕がジャケのリファレンスでいろいろ集めていた画像、写真とか絵も結構あったんですが、どれも人体が寝そべっているもので、コラージュもそうなんだけど、寝そべっている人体に自分は惹かれているんだと思いました、何でか分からないけど。たぶん、人間が弛緩して動物みたいに見える瞬間、そこに惹かれている。なので、そういうモチーフで描いてほしいというのが一つ。あと柳くんが提案してくれたんですが、アジアっぽさ。ジャポニズムとかエキゾティシズム的なアジアじゃなくて、例えば、住宅街のマンションの窓から見える風景を写真で撮って、人も看板も映っていないけど、それだけでもどこの国か、人によってはどの都市か、意外と分かるものです。暗黙知というか。そういう空気感が入ったら面白いのではないか、という話をしました。結果的にコラージュというのは、デザイナーの坂脇(慶)さんが、柳くんの別の絵を解体して、線だけにしてコラージュしてくれたんです。

—コラージュ的な粗さはサンプリングにも感じました。ジャン=リュック・ゴダールのサウンドトラックのような、ある種、無謀な感じすらあるような。

それは嬉しいです。あれは粗さを越えて適当な感じもしますが、良かったです(笑)。余談ですが、CDのブックレットで使っている青い写真は2000年代以降のゴダール作品の青みを参考にしました。

—あと、音楽性は違いますが、ヒップホップのRawな粗さも感じます。

この制作中に、(J・)ディラの『Donuts』を久しぶりに聴いていたら、ピエール・シェフェールとかの、ミュージック・コンクレート作品のように聞こえてしまいました(笑)。もちろんミュージック・コンクレートなくして、サンプリング音楽はなかったはずですし、考えてみれば、クラブミュージックで使われている技術の多くは現代音楽に由来するのものがとても多いです。現在、多くのトラックメイカーが使っている音楽製作ソフト「Ableton Live」シリーズ内で、「Max for Live」というものがリリースされているのですが、源流を辿るとIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)で開発された「4X」という音響生成ソフトがあります。実をいうと、『Śisei』の仮タイトルは『4X』だったのですが、そういう現代音楽とクラブミュージックの歴史をおもむろに繋ぎかえることが、アルバムの裏テーマでもあります。ちなみに『4X』はちょっとカッコよすぎるのでやめました(笑)。

後編
9.1 Up Date

—6曲目の“Clouds”ですが、この曲は、アルバムで唯一、現代ジャズ的なニュアンスが出ていると感じました。

確かに。ただ元々、曲を作っている時点では、ラヴェルの弦楽四重奏の1番みたいな、一つのモードの中を4分音符でモチーフが動いていくというのがまずイメージにありました。しかもハーモニーの積み方はドビュッシー的にして、Bメロは(オリヴィエ・)メシアンの曲から、というか、モロにメシアンなんですが、フランスの近現代の作曲家からかなりインスパイアされた曲なんです。だけど、実際にそれをピアノで弾いてみると、相当ジャズなものになって、そこに千葉さんのベース、渡くんのドラムというジャズもやる人達が加わり、ジャズ色が強いものになりました(笑)。

—意図したものではない?

ないんですよ。結果的にです。ほとんどジャズなのは認めますが(笑)。そもそも千葉さん、渡くん、コーリー、大石くんといった猛者達とジャズをやろうとしたら、僕は絶対にピアノを弾きたくないし(笑)、ジャズのつもりじゃないから一緒に制作できたのだと思います。ところでメシアンの名前が出ましたが、メシアンが使っている、“移高が限られた旋法”というのがあるんですが、それって、何種類か旋法があって、第二旋法というのがジャズでいうコンディミ、コンビネーション・オブ・ディミニッシュと同じなんですね。結果的にメシアンが言っていることが、ジャズの人が日常的にやっていることでもある。そこでジャズ的に聞こえるというのもよくあると思いました。今回、別にジャズっぽくしようとは思ってなかったんです。メシアンっぽくしようとしたら、ジャズっぽくなったという。

—結果的にジャズとの関連性が出てきたと。この曲での、コーリー・キングのフィーチャーは?

曲を作っているときに、コーリーっぽい歌声が頭の中で鳴っていて、ceroの『街の報せ』でNYに行ったときに一緒にやってますし、ライヴも何回か一緒にやっていたので、お願いしようかと。彼はジャズ界ではトロンボニストですが、ギターを弾いて歌うし、トラックも作ります。

—いま話を伺うとなるほどと思いましたが、最初に『Śisei』を聴いて、現代ジャズ的なものは敢えて排除して作ったのかとも感じました。

確かに、“Clouds”は他の曲とちょっと違う方向性で聴かれるだろうな、と思ったんですけど、いま言ったように、相当クラシックの歴史を振り返っているので、自分の中では納得できたんですね。あとは、千葉さんがクラリネットを入れよう、と言って、一緒にフレーズを作ったんですが、そこでもちょっとバランスが取れたと思います。ただ、ジャズと言われれば、ジャズですよね。むしろジャズにどれだけフランスの近現代クラシックの影響が強いのかということが分かりました。

—逆に、この曲から、アルバムでのジャズとの距離の取り方が伝わっても来ました。

そうですね、アンブロース(・アキムシーレ)みたいなのは意識したかもしれません。

—彼はクラシックへのアプローチもありますね。

あと、ジャズで言えば、ファビアン・アルマザン。『Alcanza』はスコアを買って、アナライズもしたし、アンブローズ、ヴァルダン・オヴセピアン、ブラッド・メルドーもそうですが、クラシックの要素の強い人からの影響はあります。

—そういえば、ヴァルダン・オヴセピアンとタチアナ・パーハの来日公演で、荒内さんと会いましたね。いま思えば意外ではないのですが、当時は、こういう音楽も聴きに来るのだとちょっと驚きました。

あれは素晴らしいライヴでした。全く関係ない話ですが、帰りにメキシコ料理屋に寄ったら、なぎら健壱がいたのが思い出深いです。それはともかく、現代ジャズより、もう少しクラシック寄りだったり、アフロ・ブラジリアンというんですかね、ある種の南米音楽だったり、そっちですかね。ジャズそんなに詳しくないんですよ(笑)。多分、現代音楽の方が詳しいです。

—では、ジャズか現代音楽か、と言われたら、現代音楽の人?

まあ、そうですね、リスナーとしては現代音楽やクラシックを聴く方が断然多いですね。

—そもそも、現代音楽に惹かれたのはなぜですか?

19、20歳頃の時に、エレクトロニカが凄く流行っていて、その流れで現代音楽を聴く人達もいて、それですよ、典型的な。

—現代音楽でも、入口はエレクトロニック・ミュージックだったのですね。

まあ、その前に、子供の時から聴いていたドビュッシーやラヴェルの流れもあって、結構行きやすかったのもありますね。

—そういう流れを聞くと、荒内さんの中では、ceroの活動がちょっと横道だったのでしょうか?

でも、ceroは始めた当初から実験的なことをやろうとしていて、本当の最初期、2003、4年ですけど、そこから段々、メンバーも替わっていって、もちろん自分一人のワンマンじゃないですし、みんなの要素がありつつ、変わっていった感じですね。ですけど、ceroってよく聴くと、例えば、セカンド・アルバム(『My Lost City』)の“マウンテン・マウンテン”はライヒの影響、“マイ・ロスト・シティー”はコンボピアノの影響もはっきりありますし、要素としては入ってましたね。

—日本人のアプローチで影響を受けたのはコンボピアノですか?

日本で言えば、渡邊琢磨さんのコンボピアノと、水谷浩章さんのフォノライト、鈴木正人さんの『UNFIXED MUSIC』とかの、2000年代の日本のジャズ界隈からの影響は大きいですね。コンボピアノをジャズと呼んでいいのかわかりませんが。ONJO(大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ)も。余談ですが、それこそ19、20歳の頃、ONJOをピットインに見にいったらストリングスの人たちがワーっと出てきました。その時期は千葉さんがヴァイオリンでONJOに参加していたらしく、もちろん面識はなかったんですが、そこでニアミスしてたかも知れません。真相はわからないのですが。

—コンボピアノも共演したキップ・ハンラハンや彼のレーベル、American Clavéの音楽は如何ですか? 近いものも感じましたが。

コンボピアノきっかけで、American Clavé界隈をたくさん聴いて、もちろん好きなんですが、ラテンは大いなる他者というか、とても魅力があるけれど、自分のものではないなと言う気がしますね。それよりか、コンボピアノの『AGATHA』に入っている印象派の響きの方に凄く惹かれてました。もちろん、あそこにラテンのリズムが入っているからこそ面白いんですけど。

—リズムよりアンサンブルの方に惹かれるものがあるということですか?

そうですね。

—7曲目の“Understory”。これも室内楽で、バスクラが印象的です。

実を言うと10年ぐらい前に作った曲で、元は凄くディスコ調なんです(笑)。その曲がずっと気に入っていて、どうにか形にできないかなと思って、で、アレンジをガラッと変えました。この新しいアレンジはジョアナ・ケイロスの影響が凄く大きいです。

—ジョアナ・ケイロスからの影響は、具体的に?

木管楽器の多重録音で、音色はモノトーンだけど、和声がクラシカルで美しいところですね。それにバスクラのオスティナート。あと、いろいろアレンジを変えてみたら、歌メロがスフィアン・スティーブンスっぽいことに気づいて(笑)。スフィアンの声で脳内再生すると、凄くしっくり来るんですけど、そうしたら、ジュリアさんの歌はUSインディっぽいムードもあるので、はまりそうだなと思ったんです。

—USインディやアメリカーナ的な音楽からの影響はありますか?

いや、あまりないです。(ceroの)高城くんが好きそうなのを、ほとんど知らないです。ただ、(アーロン・)コープランドとか、(サミュエル・)バーバー、(ジョージ・)ガーシュウィンとかはよく聴いていましたし、その系譜にあると言えるヴァン・ダイク・パークスは大好きです。テレボッサというMPBに現代音楽の要素を足したようなユニットがいるんですが、ヴァン・ダイクがアレンジャーとして参加しているアルバム(『Garagem Aurora』)があって、それは今作で参考にしていました。

—この曲も、アルバム全体も、荒内さんが弾くピアノが印象的です。ピアニストとして影響された人はいますか?

それが、いないんですよね……。ピアノは作曲の道具だと思っているので、あんまり知らないんです、ピアニストを。

—本当ですか?

影響を隠したいとかじゃなくて、本当です(笑)。ピアニストは大袈裟なスタイルの人が多い印象で……「ニュアンスが入ってない方が好きなんだよね」という話を千葉さんにしていたら、コリン・ヴァロンとか、ヴィキングル・オラフソンなど、とにかく淡泊なピアニストを教えてもらいました。

—千葉さんからは、的確にお勧めが来るのですね。

そうですね。でもいま言ったのって、ピアノを録音する5分くらい前にいきなりiPhoneで聞かされて(笑)。ただ、ピアノは、無味無臭ということではなくて、水みたいなもので、透明なんだけど、その中に硬度、硬さや甘さがあるみたいな、そういう微妙なニュアンスはたぶん自分でないと分からないのかなと思ったんで、自分で弾きました。本当は人に頼もうと、結構悩んでいたんですけど、結果、自分で弾くことにしました。

—そういう理由があったのですね。

その微妙なニュアンスというのが一番難しいんですけど。あとは、結局、自分が弾ける範囲でのフレージングでしか曲を作ってなかったので。

—ピアノは普段から弾きますか?

電子ピアノは弾きますが、アコースティック・ピアノはほんとうに久しぶりに弾きました。楽しかったですね。

—“Protector”にも、コーリー・キングのヴォーカルがフィーチャーされていますが、“Clouds”とは大分違う印象です。

この曲でのコーリーは、ボーカルというよりサウンドに近いですけど、絶妙なニュアンスで歌ってくれました。これは、元々、モノ・フォンタナ的な静かな曲にしようと思っていたんですが、アルバムの構成的に、ドラムとコーリーのヴォーカルが入った曲がもう1つくらいあったら良さそうだと考えていて、紆余曲折があって、こうなりました。あ、ピアニスト、モノ・フォンタナの影響はありますね(笑)。

—8曲目はアルバム・タイトル曲“Śisei (of Taipei 1986)”ですね。

元々1分くらいしかないピアノの小品でした。他曲と比べても大分クラシカルな曲調だったので、収録するか悩んでいたんですが、千葉さんも入れたら、と言うので、じゃあ、ピアノとコンバスのデュオで入れようかと。千葉さんのベースって弓が本当に素晴らしくて、レコーディングしていると、みんなぐっと引き込まれるくらいで、元々ヴァイオリンをやっていたのもあると思うんですけど、指弾きももちろん素晴らしいですが、弓が本当に凄いです。なので冒頭と中盤に出てくるフレーズはチェロに聞こえますが、コンバスの高い方を千葉さんに弾いてもらっています。自分としては、デュオでいいと思っていたんですが、デモを聴いていたら千葉さんが「もちろん、他にも楽器足すんだよね?」と言ってきて(笑)、「じゃあ、管も足すか」「弦も足すか」となって、どんどん大掛かりになっていきました(笑)。

— Taipeiというのは?

ceroのツアーで台北に行ったんです。その時に、バスで空港から街中に向かうときの景色が、日本人が想像するようないわゆる雑多なアジアではなく、東京の日本橋とか、大阪の淀屋橋に近い印象でした。それは日本が占領していたことによる負の歴史なのかもしれませんが、アジアの国にヨーロッパ式の古い建築が整然と立ち並ぶその様が、ずっと心に残っていたんです。例えばエドワード・ヤン監督の『台北ストーリー』の劇伴をヨーヨー・マがやり、バッハやベートーヴェンが流れてくる時の複雑な印象に近いかも知れません。アジアと欧米の入り組んだ関係性というか。それと、いま言ったような感じで作っていった楽曲とが、自分の中でリンクして完成したんです。後半は、本編をサンプリングして、ループさせて、しかもサンプラーが壊れていくようなイメージで、グリッチノイズも千葉さんに入れてもらいました。

—タイトル曲であり、インストでもあるので、やりたかった世界観が凝縮されている曲なのではと感じました。

結果的にそうですね。あと、“Lovers”も凄くやりたかったことができていますね。その2曲がやりたいイメージに近かったと思います。

—ラストの“Summerwind and Smoke”は、千葉さんと共作ですね。

これも、本編の素材をいろいろもってきて、各自エディットしてます。前の“Śisei (of Taipei 1986)”の最後の方に千葉さんのモジュラーシンセが微妙に鳴り出すんですけど、そこから徐々にスタートするイメージです。

—この曲がラストにあるので伺いたいのですが、現代音楽、エレクトロニクスを使っている音楽からの影響という面で、特に、無調と言われる音楽をどう捉えていますか?

無調に関しては、僕は(アントン・)ウェーベルンが好きなんですけど、千葉さんは(アルバン・)ベルクが好きなんですね。その辺、(アルノルト・)シェーンベルクもそうですが、新ウィーン楽派といわれる人達って、ただ単に無調じゃなくて、柿沼(敏江)さんの本(『〈無調〉の誕生』)にもあったように、調性ってゼロか百ではなくて、濃淡だと思うんですよ。千葉さんが好きなベルクの『ヴァイオリン協奏曲』は、調性が崩れかけているというか、無調の中に調性が入っているというか、要は調性/無調では語れない美しさがあって、僕は「腐りかけの肉が一番美味い」という話を思い出してしまうんですが(笑)、その淡いグラーデションにこそ可能性を感じます。

—アメリカの現代音楽の作曲家ハリー・パーチが自作楽器で使った43分割した音階も、調性音楽だけど西洋の伝統的な調性とは異なると、『〈無調〉の誕生』で書かれてましたが、あの本を読むと、調性/無調の二元論に収まらないところに可能性を感じます。

ほんと、素晴らしい本ですよね。読むのは相当骨が折れるけど、面白い。あと、ちなみにウェーベルン後期の調性が不安定な曲ももちろん好きなのですが、初期作品に“Im Sommerwind(夏風の中で)”という、驚くくらい爽やかで、ロマンティックな曲があります。 “Summerwind and Smoke”は、その曲の冒頭を彷彿とさせたので、タイトルで目配せしました。それと“Summer and Smoke”という戯曲があり、その合わせ味噌です(笑)。

—サンプリングでラフに切り取る感覚とパラレルに、無調的なものが曲に顕れる感じもあるのかなと思いました。

これは無調ではないけど、無調っぽく聞こえるのは確かですね。

—この曲から、今後何か新しいものが出てくる可能性も感じました。

千葉さんとは、これ面白いから、この路線で一枚作ろうとか話はしてます。

—最終的なマスタリング、ミックスで気に掛けたことは?

エンジニアの奥田さんには、基本的に目立つエフェクトはかけたりせず、ポストプロダクションで成り立たせる音楽ではないことを伝えました。もちろん最低限のエフェクト類やぱっと聞いても分からないような処理は沢山してもらっているんですが、ある意味、聴感上のプロダクションはオーセンティックな室内楽と変わらないものにしたい、と。なので、低域、超低域とか押し出さず、ビート・ミュージック的なアプローチも要らないです、とお願いしました。マスタリングはキムケン(木村健太郎)さんにやっていただいたんですが、最初は低域を強調したものが来て、僕は当初の方向性を忘れてて(笑)、良いですね!となったんですが、奥田さんが最初の方向性を覚えていてくれたので、キムケンさんには何度も修正を頼んでしまいました。

—ハイレゾと、あとレコードでもリリースされますね。

昨日カッティングだったんです。レコードも凄く良い音になっていて、逆に粒立ちが良くなってます。

—ライヴはどういう編成ですか?

ほぼ同じなんですが、一番違うのはピアノで杉本亮さんに入ってもらいます。

—自分でピアノは弾かないのですか?

いや、弾くんですが、音源に入っているパートはお願いして、自分は第二ピアノとサンプラーを担当します。要は、ライヒとかグラスの自分のアンサンブルってありますよね。それでコンポーザーが一応参加しているんだけど、端っこで簡単なことをやっている(笑)。そこのポジションが自分で、ピアノが2台あります。ただ、ステージの都合で電子ピアノになると思います。あと、コーリーは来れないのと、弦や管のメンバーは替わるかも。レコ発ライヴを9月にやる予定です(9月22日東京・渋谷CLUB QUATTRO)。カバーもしようかと、アーサー・ラッセルとか。

—そのカバーは楽しみですね。

そうそう、アーサー・ラッセルのあたりが、自分のスタンスに一番近いかな。あと、ゆくゆくはジュリアス・イーストマンもやろうかなと。短くして。

—いいですね。ぜひお願いします。ラッセルやイーストマンのようにクラシックの素養もあって、ポピュラー音楽とも接点があった人にはシンパシーがありますか?

凄いありますね。あの80年代のダウンタウンのシーンには。グラスやテリー・ライリー、ライヒとも繋がりがあるけれど、基本的にあそこら辺って、いまでいうバンドマン、トラックメイカーの立ち位置に近いように思います。けれども、やっていることはクラシカルで、現代音楽寄りで、そういうシーンってないので、凄く親近感はありますね。ヴィト・リッチとか、ピーター・ゴードンとか、ピーター・ズンモとか。

—『Śisei』がきっかけとなって、日本でも新しいシーンが出て来たらいいなと勝手に夢想してます。

そういう志を同じくする人がいてくれたら、いいですね。

arauchi yu
photo by Masayuki Shioda

arauchi yu

音楽家。バンド、ceroのメンバー。多くの楽曲で作曲、作詞も手がける。
その他、プロデュース、楽曲提供、Remixなども行っている。

Composer, Keyboardist.
Born 1984 in Tokyo, Japan. A member of the band, cero.
His first solo album “Śisei” will be released in Aug 2021.